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2005年10月30日 (日)

大阪に行ってきました(日本橋編)

千林からは谷町線(天六乗換え)堺筋線で日本橋まで来ました。
日本橋界隈は道頓堀の発祥を見てみようというものです。ここまでは雨にぬれずに来れたのですが、なかなか雨が止んでくれないので、ついに濡れながらの移動となってしまいました。最初から傘を持って来ればいいんだけど、それもメンドいもんね。

それでは日本橋編です。

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日本橋を渡ります。ミナミの象徴としてはよく戎橋が登場しますけど、あっちは人が多すぎて写真が撮りにくいし、こっちの方が道頓堀をきれいに撮れるんですよ(写真)。
写真は日本橋から東を見た写真です。

両側が緑地帯になっていますけど、ここが裁判と前後して大阪市が売却した部分になるのかな?

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日本橋を渡って北詰のところに、道頓・道トの紀功碑があります(写真)。
この二人は大正4年に時の天皇陛下から贈位を受けているのですが、その記念として近隣有志で資金を集めてこの碑を建てたようです。道頓堀裁判で原告側は、この碑を第一号証としたとのこと。
ここに日本橋という名称が付けられていたり碑が建てられていたりということにより、その昔に堺という街がはなはだしく重要性を持っていたことや、そこへ向かう堺筋がメインストリートであったことがわかります。
ただし町名を当時の長町から日本橋と変更した(1792年=寛政4年)ことについては、かつての都市形成には必然と言えそうな裏の面もあるようです(でんでんタウンホームページ内 http://www.denden-town.or.jp/neighbor/history/index.html 参照)。

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もういちど日本橋を渡って、こんどは千日前通を難波の方に向かうと、アムザの手前に三津寺墓地があります。ここに道頓・道トの墓らしきものがあります(写真)。
墓石には両者の名前が入っているのですが、この二人の墓ではないという話しや表裏が逆なのではという話しもあるようです(少なくとも「従五位」部分は、後から墓石に加筆がされている)。
手を合わせた後に写真撮影をしました。

(余談)

ここで今回の旅行の主目的部分が終了して、前の記事にあるイベントやいつものボーリングにつながっていきます。成績はなんとか2ケタにはならなかったというだけで、あんまし気分のいいものではありませんでした。ボーリングの玉をしばらく持ってなかったんで、手首をひねって痛めたような気もします(笑)。
あとアイドルマスターというゲームがあることを教えてもらいました。どうしろと言うのでしょうか(^^;)。
ボーリング後は商店街内の和民で短いオフをして帰宅しました。

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