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2006年1月17日 (火)

人の死について思うこと

大したことは書けませんけど、きょうは人の死に関する考えさせられるできごとが、身のまわりにたくさん出た1日でした。

1:関西大震災から11年
2:宮崎さんに最高裁も死刑判決
3:同い年の人の訃報を聞いた

1:関西大震災から11年

もうそんなに経つんですね。
自分がこのできごとを聞いたときにはまだ関西に知り合いはいなくて、職場の人の「兄弟が西宮におるんよ」という話しを聞いて、ちょっと気にする程度だったのですが、時期を経るにしたがって実際に体験した人の話しを聞くようになるにつけ「あすはわが身」と思わないといけなんだなと、真剣にとまではなかなかいけないまでも考えるしだいです。

そういう実体験をした人に対して「うん、わかるわかる」と口にするのは、かえって失礼な気がしてしまって言えないのですが、この地も自分が子どものころから「いつ大地震が来てもおかしくない」と言われているところなだけに、こういう時期を見て思いを持つことは必要だなと感じました。

2:宮崎さんに最高裁も死刑判決

どうして女児に対する屈折した感情を持つに至ったかは、ちゃんと考えておかないといけないと思います。
自分は身体的損傷は幸いにもないですけど、そういう事情があってそのことを同年代の女の子からあーだこーだと言われてたら、どういう感性を持つようになるのかなと考えると、少し同情心がわかないでもないです。

だからと言って、やってしまったことの責任は取る必要があるとは思いますけど。

3:同い年の人の訃報を聞いた

きょう職場に出向いたら、かつて同じ現場にいた人が死んだそうだ、という訃報が入りました。
最近は音信を取っていなかったのですが、自分と同い年の人のそういう話しを聞いてしまうと、ただただ「どうにもいたたまれない」という思いしか浮かびません。お通夜にあした出向くのですが、自分はその場でどう感じるんだろう…。

イチバンの親不孝は「親よしか先に死ぬこと」だと思っているのですが、あらためて自分のこととして、心身は自分でいたわらなければと思いました。

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