何を言っているのか、理解できるかは大事なことです
きょう9月24日付けの朝日新聞朝刊を見ていたら、このようなことが書かれていました。
聞いてうなずけるお経に遭うことが機縁となってこそ
きょう付けの「私の視点×4」(名古屋版では11ページ)に、大阪府泉大津市にある南溟寺(なんめいじ)の、戸次公正(べっきこうしょう)というおっさまが記事を提供されています。
このおっさまは、漢文で読むのが一般的なお経を、しゃべり言葉で読んでいるそうです。
お経だけに限られたことではありませんが、ぼくは「歴史的なこと」とか「悠久さ・雄大さ」に興味が薄いので、そもそもイメージのわかないことを好きになれないんですよねぇ。
学生時代に比較的得意だった社会科でも(近代史を除く)日本史・世界史は苦手だったし、理科では地学が全く好きになれませんでした。いまと全然違う環境を理解するのが、基本的にダメだったんだと思います。学生時代に「歴史は明治維新以降しかわからせん」という話しを親にしたら、「そういうのは、そもそも歴史とは言わせん!」とたしなめられ(=悩まされ)受験科目に日本史・世界史を選択できなくなりました(^^;)。
原文で読んで「楽しい」・「奥が深い」とわかるには、それこそものごころを覚えるころから、知らず知らずのうちに身に付いていた感覚が重要だと思います。いわゆる昔話がしゃべり言葉で伝承されたように、お釈迦さまの言ったらしい言葉でも、いまを生きる人がすっと理解できる言回しであれば、より身近なものになるのかなと思いました。
学生時代には古文が好きだったのですが、自分になぞらえれば「昔話の本を買って読ませてくれた」ってのは、少なからずあの時期に影響したんだろうと思います。いまはもう、その知識がどっかへ飛んでしまいましたが(>_<)。
大人になって好きになった落語でいえば「古典落語よしか新作落語の方が好き」という、自分の感覚に近いかなとも思います。江戸時代のことって何となくはわかるけど、いまの自分の生活環境とは違う(先に書いた「イメージのわかないこと」だ)から、自然には笑いにくいんですよねぇ。強引に笑わせてくれないと気づかないというか(マクラの意義はその「気づかせる」ことにあるのでしょう)。新作はいまが舞台だから、まだ自分の感覚で素直に笑える気がしています。
落語をまた聞きたくなったなぁ。
#引用した「うなずける」は、朝日新聞ママです。ぼくは「うなづける」と書くんじゃないかと思ってます。
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コメント
goo辞書を使ったところ、「項 (うな) 突く」の意、らしいですね。
となると、「うなづける」が正しいみたいですね。
まぁでも「うなずく」でも通じるようではありますが。
投稿: (ぱ) | 2009年9月24日 (木) 22時35分
<(ぱ)さん>
>「うなずく」でも通じる
変換がたまにうまくできず「あれ?」と思うことがあります。
正しいのも、歴史的に正しいのがいいのか、よくわかんないですしねぇ。
投稿: ちゃいにーず | 2009年9月26日 (土) 17時34分