「免罪とする度量」と「チチョリーナ」
きょう購入した週刊新潮で気になった、ふたつの言葉です。
きょう発売の週刊新潮(2011年3月3日号)で、気になる記事がふたつありました。
ひとつは、巻頭グラビア連載である、藤原正彦の「管見妄語」。途中から相撲問題に言及するのですが、テレビ番組や雑誌でも言われる「八百長とは何ぞや」とか「相撲ってそもそも何なんだ」ということを題材にしています。
ぼくは相撲における体制が穏便に済めばモノを言いたくないクチ(*)なのですが、度量が大事というというのはよくわかります。
芸能人のスキャンダルでもそうですが、ここ幾年かの日本に住む人の趨勢って「悪事をした輩は絶対に許さない」みたいな感じで、どことなく息苦しく感じます。
自分の利害に直接影響する人は別として、それ以外の人は「どうすれば社会に復帰させてやれるのか」を考える方が、よっぽど建設的だし楽観的に前向きに過ごせると思うんだけど。それこそ明石家さんまみたいな「生きてるだけで、まる儲け」って、こんな時勢に映える言葉だなぁと・・・。大げさかもしれんけど、間違ってもないと思う。
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もうひとつは、河村たかし関連で、地域政党には秘密兵器があるとかのこと。
投票権があっても絶対に入れないけど、見る分には見てみたいよね。行動は興味がなきゃ始まんない。政治意識って大事だなと深々に感じるしだい。
命名を地元がしているのか新潮がしているのかが藪の中的な書きかたなのは、それも新潮の持ち味というところですが(笑)。
#本家イタリアのチチョリーナが言う「環境破壊の元凶のひとつには自動車があるのだから、そこに課税する根拠を見つける」という姿勢は、評価ができます。
(*):あういう「あいまいな姿勢」っていかにも、日本で生きる人が何千年も行き抜けた「智慧」な感じがして、そくさまダメと切捨てにくい気がするんです。
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