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2011年7月23日 (土)

桃太郎神社と田県神社に行ってきました

きょうは犬山へ打合わせに出かけたところ、帰りに時間ができたので2か所の寄り道をしました。

1か所めは桃太郎神社(愛知県犬山市)。
岡山と由来を張合いながらも圧倒的な劣勢にある犬山ですが、運転手氏から連れて行ってもらえるということなので、それはありがたく乗るしだいです。

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以前から、ひとりで行くには交通的にきびしいなとは思っていましたが、実際に連れてきてもらうと「やっぱし、電車では来られせんな」と感じます。そういう、気軽には来れない環境が、逆にありがたいんでしょうけどね。

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まずは神殿と奥の院へ。

「鬼の目にも涙」を見ました。日本には「悪い者にも、よい面があるはず」という、寛容の精神があります。そういう面を探す努力をせずに、自分に都合の悪いことがあれば他人に責任を追及するいまの風潮は、自己努力を忘れさせて全体を委縮させるという、あたかも誰かの陰謀みたいな前兆だと思わせてくれます。他人のふり見てわがふり直せ、ってことでしょうか。

「自分の不満は他人のせいにしろ」・「文句があれば他人(社会)の責任にしとけ」ってのは、何がしかから与える「みえない影響力」な気がするし、自分が自堕落にさせられそうでホントにこわいんです。

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で、宝物館も見学(200円)します。
こういうのって「ここにカネ払うの?」となりがちですが、そこには「こころの余裕」や「新たに知識を得られるありがたさ」が試されるのです。

肝心のものは過去の火災で無くなっているようですが、その代替と思われる展示物は「近現代史の好きな自分」にとっては、そこはそこで盛上がれて内心の興奮を覚えます。
同行者から「どうして、そういうことを知っているのか」と問われて、素直に答えれないのは、戦後歴史教育の誤った価値観に自分も拘束されていて「他人からどう思われるか」を気にしすぎるせいだろうなと感じてしまうしだい。

訪れる人の都合で時間ができたのか、入口でおカネを払ったオッチャンが来てくださって、この辺りのいわれについてレクチャーを受けました。高山線沿線にどうして坂祝というところがあるのかは、前から気になっていた(「祝」の字が地名にあるのをほかに知らなかった)のですが、犬山の話しとつながって「なるほど」と思ったり。

110723inuyama_komaki_15で、そのときはオッチャンと思っていたけど、神社におる男性って「ホントはそこそこの立場のかただったんじゃないのか」と、こうやってブログを書いていて思う。
こうのは後悔なのか、聞かなくてよかったなのか(^^;)。

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2か所めは田県神社(田縣神社。愛知県小牧市)。

110723inuyama_komaki_18写真撮影をしないでしいという看板が多かったのを理由にしてアップは1枚にとどめますが、こういういわれるのある神社があることは「日本の揺れ」(=寛容)のあらわれだと感じるところです。
 

なんでもかんでもギチギチに考えすぎて、結果的に自分が息苦しくなるってことは、日本文化本来の姿じゃない気がします。自分の立場を考えてどうするかを見れば、生きていけるのが日本のはずだもん。いままでそうやって歴史を積重ねて来れたのに、おのれの世代でそれが途絶えるなんて発想それ自体が、マイナス思考そのものだしね。

生きる術について思直せたことが、きょうはホントにありがたい。
でかけてよかったよね。

#帰りは旧道経由だったので小牧原新田とか通って「これは~!」と思うも、さすがに「ドッグショップも寄って」とまではお願いできなかった(^^;)。

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