30年ぶりに見た光景
まずは・・・きょう、東京ビッグサイトは行けませんでした。
法事をすることになって、今回の東京遠征はキャンセル。
鈴木里香昼1部×2、中村麻里子昼1部×2、中村麻里子昼2部×2、中田ちさと4部×2、内田眞由美夕方×2と持っていたんですけどね。
中田とはいつしゃべれるのかとか、鈴木がおらんくなったりとか、ホントいろいろあるね。
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数年前から回避していた(ぼくが引延ばしていた)今回の法事、さすがにこれ以上は無理だったようです。お墓の場所を、ついに移すことになりました。
ぼく自身は生まれも育ちもこことは違うんだけど、血筋として切ってしまうことはできないのであって、あと十数年という時間的距離で見ると放ってもおけない状況だでしゃあないという状況。
あんまし細かい地名を出す話しではないけど、お墓が町に近い方に移りました。行くかどうかは別として、2時間半かかっていくところだったのが、1時間半で行けるようになりました。
法事が終わって、ぼくのリクエストで移設する前の墓跡を見に行くことに。
クルマで行く場合は、小学校近くに停めさせてもらってそこからは歩き。ただ、歩いていくにしても、小学校の敷地内を通らせてもらわないと行けないんです。敷地内を通らないとものすごい山道になるんで、やっぱしこっちから。
ぼくがこの敷地を通るのは(前のお墓に行くのも)2回め。前回通ったのは30年も前の話しですけど、おぼろげながら光景は覚えてました。この機会に来なければ、もう一生この敷地を踏むことがない予感がしたんですよね。
小学校のグランドに着きました。
これで登り口(小学校の校門)から見ると、半分くらい来た感じです。小さかったころの覚えでは、ここからかなりの急坂を登った記憶だったんだけど、どんなんだったけか・・・。
やっぱしな。
革靴で来たのはおもいっきし失敗だけど、きのうの仕事終わりから自宅へ帰らず来とるので、どうしようもない。
これでも、人が通れるように(というか、業者さんが足を滑らせずに、墓石を下へ降ろすためだろうけど)左右の竹をかなり伐採したっぽく、切った節が見えました。
到着しました。
移したんだから当たり前だけど、何もなくなっていました。
やっぱし、ここを訪れることはもうないのかな・・・なんて考えたりして。
お墓のあったところから、上を向いてみました。竹がかなり伸びています。
この光景を見て、子どものころにここの竹を切り出してもらって、竹馬をつくってもらったのを思い出しました。
握手券はもったいなかったけど、代わりにむかしのことを、あれやこれや振り返った一日になりました。
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